第1回:出汁の歴史

家庭に出汁の文化が
根づいたのは
いつ頃から?

日本料理に欠かせない出汁。

たとえば、家庭できちんとしたお味噌汁をつくる際に、まず出汁を取ることは日本人として常識であり、古くから、遅くとも江戸時代の頃からそのようにしてきたのではないか?⎯⎯インタビューアーである私はなんとなくそう思っていました。

ところが、和食料理人である野﨑洋光さんは「誤解です」とキッパリ。日本料理の長い歴史から見れば、家庭に出汁を取る文化が定着したのは「つい最近のこと」だと。

野﨑洋光さんにお伺いした「知っているようで知らない出汁の世界」。5回シリーズでお届けします。

野﨑洋光:

◉ 野﨑洋光:Profile

のざき ひろみつ 1953年福島県石川郡古殿町に生まれる。武蔵野栄養専門学校卒業後、東京グランドホテルの和食部に入社。5年間の修行を経て八芳園に入る。1980年に東京・西麻布の「とく山」料理長に就任。1989年に南麻布「分とく山」を開店、永年にわたり総料理長を務め、2023年末に勇退。また、書籍、テレビなど各種メディアを通して、調理科学、栄養学をふまえた理論的な料理法に基づくわかりやすい和食を提唱。著作多数。

出汁

◉ 出汁は、和食から
  切っても切れない存在。

日本料理に欠かせない出汁。それは私たち日本人にとって清純な水や清々しい空気のような存在です。では、出汁について、皆さんはどれくらいご存知でしょうか。そもそも、出汁とは何でしょうか?

世界大百科事典によれば、
>「煮出汁の略で、だし汁とも呼ぶ。動植物食品のうま味成分を水に溶出させたもので、塩、みそ、しょうゆ、酢、みりん、砂糖などの調味料と合わせ用いて、料理の味を向上させる役割をもつ」とあります。

また、国立国会図書館のミニ電子展示『本の万華鏡』では、「第17回 日本のだし文化とうま味の発見」という読み物のなかで、出汁を以下のように位置づけています。

>2013年12月、「和食;日本人の伝統的な食文化」はユネスコ無形文化遺産に登録されました。和食というと、まず寿司や天ぷら、味噌汁といった日本の代表的な料理を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、それらから一歩目立たない位置にありながら和食から切っても切れない存在、それが「だし」です。

>和食における「だし」は、地域性や社会、文化などの影響を受けて、独自の発達を遂げました。材料には主に鰹節、昆布、煮干し、椎茸などが使用され、西洋料理や中華料理の鶏ガラ、豚骨、牛骨などを使ったブイヨンやフォン・ド・ボーなどとは違い、油脂成分をほとんど含まないという特徴を持っています。

さらに同コラムのなかで、現代の出汁に相当するものが最初に登場する文献は、「室町時代後期の資料で、日本料理の流派である大草流の料理書」とあります。さらに、「江戸時代までの料理書は主に料理人を対象としたものが多く、日常食を扱うというより、饗応料理を著す傾向が強かった」とも。

室町時代や江戸時代、料理人向けの書物のなかに、そうした記述があるようです。では、家庭の食卓に出汁をベースとした料理が出されるようになったのはいつ頃からでしょうか?

◉ 出汁文化は昭和初期に
  一般紹介され、戦後花開く。

和食料理人の野﨑洋光さんは、古(いにしえ)から続く日本料理の文化に対し、料亭等で用いられてきた「出汁を取るという手法」が「一般に向けて初めて紹介されたのは昭和7(1932)年」頃だと言います。

平成30(2017)年に『主婦之友』創刊100周年記念で発刊された『ニッポンの主婦 100年の食卓』(主婦の友社)という記念誌があります。

紐解くと、「当時(大正時代)、主婦の仕事のなかで料理はさほど重視されていなかった」「ほぼ毎日同じものを食べていました。ごはんとみそ汁と漬け物と、あと1品あるかないか。着るもののほうが『ないと困る』ので、当時の主婦雑誌は裁縫記事のほうが目立ちます」とあります。

さらに「昭和6(1931)年頃から婦人雑誌は付録合戦を開始」「その目玉の一つが料理の本」で、「掲載されているのはハイカラな西洋料理、和の懐石料理、お菓子」「上流階級の女性たちは食べていたかもしれませんが、多くの主婦にとっては初めて見るものがほとんど」とあり、野﨑さんのお話と合致します。

「その頃の家庭には料亭のように出汁を取る文化はありません。一方で、汁の中に煮干を入れ、鰹の削り節を入れて、それを引き上げずに入れっぱなしにして煮出して、そのまま食べるような文化はありました」と野﨑さんは振り返ります。

「そもそも江戸時代に『和食』という言葉はありません」と野﨑さんは微笑みます。それは「明治維新以降に生まれた造語」だと。海外から入ってきた料理に西洋の「洋」をつけて洋食と呼んだことに対し、それと区別するために従来からある日本の料理を「和」の食、和食と呼ぶようになったに過ぎません。

「同じように『出汁』というものに対して、注目しようとか、させようとする意識は、戦前はなかったはず」と野﨑さんは考えます。出汁を取ってうま味を抽出するという料理人の常識を、広く世間一般に知らしめる必然性も必要性——ニーズもなかった、ということでしょうか。

「出汁を取る文化が家庭に定着し始めたのは戦後のこと。昭和30年代、戦中戦後の混乱を乗り越え、日本がすこし豊かになってからです」と続けます。「辻留さんの旦那さんがテレビに出て、日本の伝統料理の普及に尽力したことが大きかったと思います」

この「辻留さんの旦那さん」とは、京都発祥である茶道の裏千家とともに歴史を刻む老舗の料理店『懐石 辻留』の2代目主人・辻嘉一(つじかいち)さんのことで、「テレビ」とはNHKで昭和32(1957)年より今日まで放送されている『きょうの料理』のこと。放送当初、テレビの普及率は10%にも届いていませんでしたが、その3年後に44%、5年後に88%、10年後には96%になっています。

「テレビにプロの料理人が出て、その舞台裏——プロの世界では当たり前だった出汁を取ることを広めました。ですから家庭で出汁を取る習慣と申しますか、文化が定着したのは、日本料理の歴史から見れば、つい最近のことです」

知っているようで知らない出汁の世界。次回「出汁の常識・非常識。プロの料理人が明かす真実とは?」に続きます。